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東京地方裁判所 昭和39年(ワ)2733号 判決

原告 井原喜芳

右訴訟代理人弁護士 藤原義之

被告 河野イワエ

〈外二名〉

右三名訴訟代理人弁護士 相磯まつ江

同 芹沢孝雄

被告 町野泰治

主文

原告の請求はいづれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

(当事者の申立)

第一、原告の申立

「被告河野イワエは原告に対して別紙目録記載の建物を明渡し、かつ昭和三九年四月一〇日から右明渡ずみまで一ヶ月三万円(うち被告河野一徳と連帯して一ヶ月四、五〇〇円、被告町野泰治と連帯して一ヶ月四、五〇〇円、被告入江良子と連帯して一ヶ月四、五〇〇円)の割合による金員を支払え。

被告河野一徳は原告にたいし別紙目録記載の建物中階下奥六帖(別紙図面(イ)の部分)を明渡し、かつ昭和三九年四月一〇日から右明渡ずみまで一ヶ月四、五〇〇円の割合による金員を支払え。

被告町野泰治は原告に対し別紙目録記載の建物中玄関脇六帖(別紙図面(ロ)の部分)を明渡し、かつ昭和三九年四月一〇日から右明渡ずみまで一ヶ月四、五〇〇円の割合の金員を支払え。

被告入江良子は原告に対し別紙目録記載の建物中二階六帖(別紙図面(ハ)の部分)を明渡し、かつ昭和三九年四月一〇日から右明渡ずみまで一ヶ月四、五〇〇円を支払え。

訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決および仮執行宣言を求める。

第二、被告等の申立

主文同旨の判決を求める。

(当事者の主張)

第一、原告の請求原因

一、原告の父訴外井原喜三郎は別紙目録記載の建物(以下本件建物という)を所有し、居住していたが昭和三八年一〇月一五日死亡し、原告はその唯一の相続人である。

二、被告河野イワエは本件建物を不法に占有している。

三、被告河野一徳は本件建物階下六帖室(別紙図面(イ)の部分)を、被告町野泰治は本件建物階下玄関脇六帖室(別紙図面(ロ)の部分)を、被告入江良子は本件建物二階六帖室(別紙図面(ハ)の部分)を、それぞれ被告河野イワエと共同に不法占有している。

四、よって原告は本件建物の所有権にもとずき被告等に対し、それぞれ「原告の申立」記載のように本件建物またはその一部の明渡および本件訴状送達の日の翌日である昭和三九年四月一〇日からそれぞれ明渡ずみまで近隣の家屋賃料相当額の損害金の支払を求める。

第二、被告等の答弁および抗弁

一、請求原因事実第一項は認める。

二、請求原因事実第二、第三項中被告等が原告主張のように本件建物またはその一部を占有していることは認める。

三、被告河野イワエは訴外井原喜三郎と昭和三二年一二月二七日から内縁の夫婦関係にあり昭和三三年二月には事実上の夫婦としての披露宴を開いたのであるが、原告の強い反対のため婚姻届出がなされず今日におよんでいる。

四、右訴外人は昭和三三年五月ごろ被告河野イワエに対し、「この家は自分の死後はお前にやる。」と述べ本件建物の贈与を約し、右訴外人は昭和三八年一〇月一五日死亡したので、右被告は本件建物の所有権を取得した。

五、かりに右贈与が認められないとしても、右訴外人の前記のような言動は右被告に対し右訴外人の死亡を停止条件として本件建物を被告の終身間使用貸することを約したものというべきであり、前述したように右訴外人は死亡したので右被告は本件建物について前記使用借権を有している。

六、そうでないとしても右被告が右訴外人の内縁の妻である以上、右訴外人の相続人である原告が右訴外人の死亡を幸として右被告に対して、その居住している本件建物の明渡を求めるのは権利の濫用として許されない。

七、被告河野一徳は昭和三八年八月被告河野イワエの親族として、右訴外人の承諾をえて本件建物に同居するに至ったものであり、被告町野泰治は昭和三七年一〇月、被告入江良子は昭和三八年九月にそれぞれ右訴外人から賃料一ヶ月で、期限の定めなく現在占有中の部屋を賃借したものである。

第三、被告等の主張に対する原告の反論

一、被告河野イワエが訴外井原喜三郎の内縁の妻であったとの事実は否認する。右訴外人は昭和三二年一二月ころ同人の死亡までとの約束で右被告を家事使用人として雇入れ、本件建物に住込ませたのであって、右訴外人の死亡により右雇傭関係はすでに終了している。

二、右訴外人が右被告に対し本件建物を死因贈与、使用貸したとかの主張事実はこれを否認する。

三、右被告の権利濫用の主張はこれを争う。前述したように右被告は右訴外人の内縁の妻ではないし、原告は昭和三八年一〇月一八日ごろ右被告に対し同被告の今後の身のふり方について好意的な提案をしたが、右被告はこれをうけつけないのみか、同月二〇日ごろ原告に無断で他の被告等を入居させ本件建物を不法に占有している。

四、被告河野一徳、同町野泰治、同入江良子が右訴外人の承諾をえて本件建物に入居したとの事実は否認する。右被告等は昭和三八年一〇月二〇日ごろ被告河野イワエと共謀のうえ原告に無断で本件建物に入居したものである。

(証拠)≪省略≫

理由

一、本件建物がもと訴外井原喜三郎の所有に属していたこと、右訴外人が昭和三八年一〇月一五日死亡し、原告が右訴外人の唯一の相続人であること、被告河野イワエが本件建物を占有し、その他の被告等がそれぞれ原告主張の同建物部分を、被告河野イワエと共同して占有していることは当事者間に争いがない。

二、被告河野イワエが訴外井原喜三郎の内縁の妻であったか否かについて判断する。≪証拠省略≫原告および被告河野イワエ各本人尋問の結果によれば、右訴外人は原告や近親者に対し右被告のことを女中であるといったこともあること、右訴外人と右被告との間で結婚式はあげられていないこと、右訴外人はその妻みやの死亡後家事使用人をさがしているうち、たまたま右被告が右訴外人において板橋区に寄付した桃山建築風の文化的建物を見にきて同訴外人と相会し、互に意気投合し、右訴外人と同居するようになったもので間に立った仲人もなかったことが認められ、右の各事実のみからみると右訴外人と右被告との間が果して内縁の夫婦関係であったか否か疑問のふしがないとはいえないようであるが、他面証人中村日応、西沢雅雄の各証言によれば右訴外人は他の者が右被告のことを奥さんと呼んでも否定せず、妻として他人に引合せたこともあることが認められること、成立に争いのない甲第三号証、被告河野イワエ本人尋問の結果によれば、右訴外人は明治六年七月二二日生れで右被告と同居するに至ったのは昭和三二年一二月頃であり、右訴外人は八四才、右被告は四一才の頃であったこと、右被告はそれ以来右訴外人と六年近く同居し、その間老齢といえども元気な同訴外人の一切の身の廻りの世話をし、右訴外人と性的関係もあり、旅行その他にも行動を共にしていたが、右訴外人は非常に個性の強い性格で唯一の子である原告夫婦から面倒を受けることを好まず、しかも右被告との年齢の距りや、老齢のことを気にし、外見と原告の反対を顧慮して右被告との関係を原告に秘していたことが認められること、証人西沢雅雄の証言、被告河野イワエ本人尋問の結果によれば右訴外人は本件家屋の外なお、二、三の不動産、こっとう品等を有し資産はあったが、すでに老齢のため無職で日常の収入がなく、原告とは折合が円満でなく、長らく別居し、右被告は右訴外人と同居中、自己の娘をも引き取って三名で生活してその生活一切を切盛し、訴外人から支給される金員では生活費に不足し、みずから生活保護費を受けるかたわら、右訴外人宅でいわゆる真空療法の医療類似行為をなし若干の収入を得、それ等収入をあげて右訴外人の家計費の一部とし、右訴外人から日常感謝されていた。右各証拠によれば、右の言動は右被告が右訴外人に対し婚姻の届出をなすことをせまった場合同訴外人がなお百才までは元気であるからなどといって右届出申出を避け、その際につけ足してなされたものであり、また右訴外人は本件建物の贈与について書面の作成その他右被告の権利確保のための措置をとっていないこと、本件建物の敷地を原告の所有名義のままにしておいたことが認められ一方、証人井原瑠璃子の証言によれば右訴外人は原告の養女瑠璃子には同女が結婚したならば同女夫婦と本件建物に同居してもよいともらしていたことも認められ、これらの事実を併せ考えれば右訴外人の前記言動は、原告の養女に好意を示して外見を顧慮しながら右被告をもなだめて前記関係を維持するためになされたものであって右被告に対する本件建物贈与の真意があったとも、贈与の意思表示が現実になされたとも認めることはできず他に右主張を認めるのにたりる証拠はない。

四、被告等の終身使用貸借の主張について判断すると、右訴外人の前記の言動をもっては未だ同人が被告河野イワエに対し本件建物を右訴外人の死亡を停止条件として右被告が生涯本件家屋を使用し得る使用貸借関係設定の意思表示を同被告に対してなしたものと認めることはできず、他に右主張を認めるのにたりうる証拠はない。

五、被告等の権利濫用の主張について判断する。前認定のような被告河野イワエと訴外井原喜三郎との関係右訴外人の右被告に対する生前の言動、被告河野イワエ本人尋問の結果によれば右訴外人は前記のとおり平常元気であったのに狭心症で発病後僅か数時間後急死し、その間遺言の余裕も近親者の立会の機会もなかったことなどからすれば、右訴外人としては生前本件家屋を右被告に贈与するとか、使用貸借をするとかの約束をしていなかったとしても死を間近に予期したならばその死後右被告において独立生計の準備を得られる相当期間同被告に本件建物を無償で使用させ生活の資と居住の安定を得させる措置を講じたであろう事、従ってその死後相続人たる原告が右被告を直ちに本件建物から退去させることのないように希望していたものと推測するに難くなく証人井原瑠璃子の証言、原告本人尋問の結果によれば右訴外人と原告およびその養女とは別居していたがときおり、行き来していたことが同訴外人が親戚知人を集めて亡妻の一週忌法要をした際にわざわざ被告河野イワエを一同に引き合わせて今後身の廻り一切の世話をして貰う人として紹介した席に原告も居合せたこと、同訴外人は生前正式婚姻届出をしない女性数人と次々に夫婦生活を過したことのあることを知っていたこと、前記のとおり、原告としては唯一の右訴外人の子でありながら同人と別居しての生活の世話を被告イワエに委せ、生活費の面でも別個独立であったこと、右訴外人は厳格一徹な性格で原告の妻とは折合がよくなかったが右被告とは約六年間、同被告の娘まで同居させ、ともかくも前記医療類似行為までも許して同居を続けて来たことをみて知っていたことなどが認められるので、原告としても右被告が右訴外人の単なる家事使用人でなく前記認定の内縁夫婦に準ずる関係を感得すべき立場にあったものというべく、また被告河野イワエ本人尋問の結果によれば右被告は現在特に財産はなく本件建物で医療類似の行為をなし、他の被告等への間貸しをすることなどによって、ようやく母娘二人の生活を支えるのに足りる若干の収入をあげているのみであり、先夫との間に現在高校一年生の娘があることが認められ、証人井原瑠璃子の証言、原告本人尋問の結果によれば原告には右訴外人によって買与えられた現在居住の建物と、別に同訴外人遺産の若干の不動産を所有し、俸給を得て生活上支障もないことが認められる。以上のような事情を総合して考察すると、被告を終身の間、本件建物に居住させるべき義務があるものとまではいえないにしても、原告としては亡父喜三郎において死を予期したならば少くとも右被告に無償使用をさせるべく措置を講じたであろうとされる相当の期間被告の本件建物居住を認めるべきであるところ、右の期間が経過したとみるべき事情は未だ明かになし得ないので、その事情の到来を肯定し得ない現在、被告に対し本件建物明渡を求めることは権利の濫用として許されないことといわねばならない。(右の相当期間がいつ経過するかについては原被告の今後の具体的な事情によって定まることであるが、例えば各被告が前記娘の養育の労を尽し終り母娘共に収入の方途を得るなり、そのいずれかが新たな結婚生活に入るなりして独立の生計の見込が得られるに至った場合は右の相当の期間が経過したものとみてよいであろう。)なお証人井原瑠璃子の証言、被告本人尋問の結果によれば原告はその養女、訴外井原瑠璃子が結婚した場合の住居を必要としていること、また原告は訴外井原喜三郎死亡直後の昭和三八年一〇月一八日、七〇万円を被告に贈ることを条件として被告に対し本件建物の明渡を求めたことが認められるが、右の各事実のみでは未だ原告の右明渡請求の権利行使を正当化するに充分なものとはいえない。

六、被告等は被告河野一徳、同町野泰治等は訴外井原喜三郎の生前からその同意をえて本件建物に同居し、または本件建物の一部を賃借していたと主張し、証人西沢雅雄、同町野隆一郎の各証言、被告河野イワエ本人尋問の結果、中には右主張に副う供述があるが、成立に争いがない甲第六、第七号証の各一ないし三、証人大野五郎、同井原瑠璃子の証言と対照すると直ちに措信し難く、結局右訴外人の死亡後被告河野イワエの同意をえて本件建物に入居したものと考えるほかはない。しかし被告河野イワエは前述したような本件建物の居住権限を有しておりその権限の範囲内で他の者を本件建物に同居させ、またはその生計をおぎなうため賃貸することができる(ただし右の賃貸借は右被告が本件建物を使用しうる相当の期間が経過したときには原告に対抗しえないものとなることはいうまでもない。)というべきであり前述したように原告の右被告に対する明渡請求が権利の濫用として許されないのであるから原告の被告河野一徳、同町野泰治、同入江良子に対する明渡請求も権利の濫用として許されないといわなければならない。

七、よってその余の点について判断するまでもなく原告の本訴請求はいずれも失当であるのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する

(裁判長裁判官 畔上英治 裁判官 輪湖公寛 竹重誠夫)

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